VACANCY会員さんご紹介シリーズ、今回は小林高行さんにインタビューをさせていただきました。

小林さんはICTコンサルティング会社の代表を務めながらNPO法人の副理事長として活躍されています。また、一児の父でもあり、お子さんとYouTubeの配信をされていたり、SNSでも仲睦まじい様子が伺えます。

そんな小林さんですがロスジェネ世代第一期、新卒で入社した会社で円形脱毛症になり、退職してフリーターになった過去や、会社経営、地方議会議員選挙に出馬するなど様々なご経験をされています。

来年50歳という節目を迎える小林さんのこれまでとこれからについて伺いました。

前編では、バブル崩壊時の就職やフリーター時代の生活、安定的な仕事を捨て起業した先でみた現実、NPO法人設立のきっかけについて。後編では、育児、ご自身のターニングポイントと語る地方議会議員選挙への出馬経験、さらには小学生の頃から大切にされているという考え方についてお伺いしました。

赤裸々に語ってくださったので、皆さんの中にも何か心に響くものがあるのではないかと思います。ぜひご覧ください!

▼プロフィール

小林高行

1971年川崎市生まれ。法政大学経済学部卒業後、SEの仕事に従事する一方、小中高向け教育支援団体NPO法人学校サポートセンターを設立し、副理事長に就任。2005年システム開発会社の株式会社Bizletを設立、代表取締役に就任。2017年に退任した後、ICTコンサルティング会社である株式会社スモールツリーを設立、代表取締役を務める。

ロスジェネ世代第一期。不本意に終わった就活とフリーター生活を経てスタートアップへ

小林 学生の時は金融業界志望だったんですよ。中学生くらいにお金の流れとか資本の仕組みに興味を持ち始めて、将来は資産家になりたいと漠然と考えていました。

――そんなにもお金にご興味があったのは、なぜですか?

小林 僕が高校2年生の時、いわゆるバブル経済の真っただ中で日経平均株価が最高値をつけたんですよね。その時の世の中はまさにお金一色という感じでした。学生だった私も、世の中の流れに感化されて、金融や経済を志望して一浪して大学に入りました。でもその後、景気はどんどん悪くなって、大学2年生くらいの時には、日本経済は完全に不景気モードに。なので、就活する時には求人が全然なくて。当時の就活って就職ジャーナルとかの雑誌にハガキが付いていて、それを書きまくって返事が来るとその会社のセミナーに参加できるのですが、何枚送っても返事なんか来やしない。結局、何とか引っかかった会社に新卒で就職したものの、やっぱりあまり本意じゃなくて2年で退職しました。その頃は友達の家を転々としたりして25歳から2年くらいフリーターをしていました。当時はPHSが流行っていて、それを量販店で女子高生とかに売っていて。将来性もなくて親も心配していましたけど、実はめちゃくちゃ売りまくっていたので僕自身は全然悲観していませんでした。それで27歳の時に、仲間と一緒に携帯電話やPHSなど通信系端末の販売代理店を作ろうぜって盛り上がってて起業寸前だったんですよ。でもそうはならなかったのは、その時、新卒で入った会社の同期がコンピュータソフトウェア開発の会社を起業するから一緒にやろうと誘ってくれたんです。とはいえ、それまでパソコンも見たことがなくて、ソフトウェア開発って何をするかも全くわかっていないのですが、まあ、携帯だったらいつでも売れる自信もあったし、せっかく誘ってくれたからやってみようかなということで、やってみたんですよね。でもやってみたら、当たり前ですけど、全然できなくて……。1年くらいは仕事しながらたくさん勉強して、それでようやく少しづつシステム開発の仕事ができるようになってきて、その後は顧客であった大手電機メーカーさんから請けた仕事7年くらいやっていました。

100億円になるか0になるか。安定的な仕事を捨て起業した先で下した決断

会社が少しづつ起動にのってきて、オーナーと会社をこれからどうやっていくか話した時に、僕ら若手経営陣は請負いの仕事はもう飽きていて、できることがわかっているのにそれをやり続けるのはもったいないから新しいことをやって行こうと提案したのですが、それってすごくリスクがあるんですよね。100億円になるかもしれないけれど全く売り上げが立たないかもしれない仕事。だけどどうしてもやりたくて何度も話し合ったんですけど、その時の会社では新しいジャンルへの挑戦はできないことが判って。まあ、リスキーな挑戦なんだから、やっぱり自分のお金でやらなきゃダメだよねってことで会社の同期と3人で34歳の時に新しい会社を起業しました。3人で330万ずつ出して、資本金1000万ではじめました。広尾にデスク4つがぎりぎり並ぶ小さなオフィスを借りて、3年後は六本木ヒルズのオフィスだなって。まったく根拠はないんですけど。

でも、前の会社で僕らが採用して育ててきた後輩たちから、自分たちも一緒にやりたいって言われて、まだビジネスモデルも確立してない何もない会社なのに、社員の家族なんかもいれたら20人分くらいが生きていくためのお金が毎月必要になって。資本金なんて1000万円しかないのにその人数がどうやって食っていくんだと。でも、せっかくやりたいと言ってくれるメンバーは有難いし、仕事を通して信頼関係もできているし、せっかくだから一緒にやろうということになって。で、どうしたかというと、前の会社で仕事をさせて貰ってたお客様のところに出向いて、お願いしてお仕事をもらったんです。なじみのお客様たちは僕らの起業を応援してくれたんだけど「お前ら新しいことに挑戦するって言ってたけど、どうなったの?」みたいになって「ちょっと事情があってお金が必要で」みたいな感じで。結局、前の会社とやっていることは変わらず請負の仕事から始めることになりました。

経営者としての理想と現実。「これじゃない」と思い続けた12年

でも、もともと目指していたのとは違うので「最初は食べていかなきゃいけないから請負の仕事だけど、俺らはIT技術で新しい社会を作ることを目指しているから……」って言ってる間に、12年経ってしまったんです。会社の人数は増えて規模は大きくなっていたけど、結局抜けられなかったんですよ、請負の仕事。自分が経営者になって思うのは、お金ってすごい大事じゃないですか。自分だけだったら、年収300万円でも何とでも食っていけるけど、社員たちが増えて、それぞれに家族ができて、300万円じゃ厳しいよねっていう話になって。どうやって食べていくのかってなった時に「お客様の仕事を受けて対価をいただく」という選択をし続けた。その結果、目の前の売り上げを上げることは挑戦のための手段だったはずなのに、それが目的になっちゃって。新しい試みも何度か試したんだけど、最初の挑戦する気持ちがどんどん薄れていくのを実感していました。それで代表として会社を継続させる使命がありつつ、個人的な「これじゃない、このつもりで会社立ち上げたんじゃない」って思いも膨らんでいって。でも、そんな気持ちじゃやっぱり代表取締役としては失格なんですよね。それで一緒に会社を立ち上げた2人と話して、代表取締役を代わってもらいました。この会社の起業は僕が誘ったのに、中途半端な状態で投げ出す感じになってしまって非常に心苦しかったんだけど、このままだと人生の終わりで後悔すると思って辞めさせてもらいました。それで2017年に退職して今の会社スモールツリーを立ち上げたんです。

インターネットで超える時間と場所。教育プロジェクトを機にNPO法人設立へ

まだ起業する前、お客様先でエンジニアとして仕事をしていた時に顧客の社内プロジェクトで日本中の小中学校に対してテレビ会議のインフラを提供するプロジェクトを担当したんです。全国の小中学校が、1年間自分たちが住んでいる地域の調べ学習をして年度の終わりに其々の地域でどんなことを学んできたのかテレビ会議で発表すると。テレビ会議システムで北海道から沖縄まで6校を結んで、映画館みたいなスクリーンでそれぞれの学校を中継先として、みんながそれを見て発表する。めちゃくちゃ良いんですよ。3月なんで、結構寒くて北海道ではまだ雪が降っていたんだけど沖縄の子たちは雪なんか見たことがないから「今、雪が降っています!」っていうので「これが雪かー!」みたいな。インターネットで時間と場所を超えて繋がれるじゃないですか。先生や子どもたちがとても喜んでくれたから、このプロジェクトを軌道に乗せて社会貢献事業としてやっていきましょうっていう感じだったんですけど、企業内プロジェクトだと、どうしても会社としての予算の問題があるので、結局、経営判断で一旦プロジェクトをクローズすることになってしまって。でもボランティアベースだったら、僕はエンジニアだし、他にも新聞記者とか映像カメラマンとかいろんな業種の人がいたので、それぞれの得意分野で学校に行って話をしたり、テレビ会議したり、お金をかけなくてもできることがあるってことで、プロジェクトが終わった後すぐにボランテイアサークルみたいな形でこれまでやってきたことと同じ様なことを出前授業みたいな感じで続けました。学校はすごく喜んでくれて、団体の運営費を頂く事業としても成り立つようになってきたので、2006年にその団体を学校サポートセンターというNPO法人にしました。総合学習がちょうど始まった頃で学校が総合で何をしようかという時に僕らがコンテンツを提供して。そういう活動を本業と並行してやっていました。

志は高いけれどお金はない。そんな人たちに戦える武器を提供したい

2017年に前の会社を退職した時、自分が何をしたいのかまだよくわかっていなかったのですが、NPOで教育もやっていたし、そういうソーシャルセクターの団体ってアナログでお金もない状況で、でも志は高くて社会をなんとかしたいと思っている人が多いから、その人たちに戦える武器を提供する会社があったら喜んでくれるかなと思って今の会社を始めました。

――今もNPO法人学校サポートセンターを続けていらっしゃいますよね。

小林 バリバリやっています。スモールツリーは非営利団体や社会的企業を支援する営利企業なんですが、一方で自分のNPOもあって会社が所属している商店街も支援していて、営利非営利のそれぞれの活動が混ざり合って活動している感じです。

修学旅行の相次ぐ中止。コロナ禍で収益がほぼ0に

――NPO法人学校サポートセンターではどんなことをされているのですか?

小林 僕らのプログラムに参加してくださっている学校は通算で500〜600校あって、そのメインプログラムは修学旅行でのキャリア授業の提供です。地方の子どもたちが東京や大阪に来た時、色んな企業に訪問して、企業の人たちにキャリア授業をしてもらうんですけど、学校側でアレンジするのは難しいので、僕らが子どもたちと企業のマッチングをして、学校ではできない授業を子ども達に提供するスタイルでやってきました。協力してくださる企業も今は1,000社以上あって。このスタイルで長くやってきたから、そろそろ次のスタイルにも挑戦していこうと計画していた矢先にコロナ禍になっちゃった。今年は我々のプログラムを実施予定だった春の修学旅行が全校で中止になりました。秋もほぼ中止で。僕らはプログラムの事業収益で回していたけれど、それがほぼ0になってしまっている状況なので、新しい時代に相応しいスタイルを早々に構築しないとなりません。これは模索中です。

――学生時代からお金が好きだったというお話をされていましたが、お金を稼ぐということだけでなく、NPOなど社会貢献に注力されているイメージなのですが、どこかで意識に変化があったのですか?

小林 本質はずっと一緒です。僕らがNPOでやっているのは生き方とキャリア教育です。学校の授業で教えてくれないことを僕らが授業として提供することがミッションだと思っていて、キャリア教育って何かっていうと、生きていく力、稼ぐ力というか、どうやって世の中を渡り歩いていくのかっていうのを考えるきっかけづくりだと思っています。

当たり前に左右されない自立した大人になるために

――なぜキャリア教育に注力されようと考えたのですか?

小林 僕らのロスジェネ世代って、正社員として就職できないフリーターがいっぱいいるんですよ。それが社会問題にもなっていて、じゃあなんでフリーターになったかというと時代背景もあるんですけど、学校教育の中で良い高校行って良い大学行けばなんとかなるってみんなが信じてたんですよ。だけど、バブルがはじけた時にそんなことはないっていきなりルールが変わっちゃった。別に大学行ったって勤める会社がないこともある、どの会社も新卒の求人を出すわけではないってその時初めてルールが変わったんですよ。僕らの失敗経験でもあるんだけど、いわゆる世の中の流れの中で学校にそう言われたからとか、当たり前だと思われていた常識っていつでも変わる可能性があるし将来のことを真剣に考えるのが就職活動の時で良いんですかって。本当は中高生、もしくは小学生の時に自分が将来どうやって自立していくかっていうのを考える機会はもっとあった方が良いし、それをただ空想するだけじゃなくて直接、社会人から聞けるみたいな。例えばパイロットになりたい子どもが機長さんから話を聞ける機会ってなかなかないじゃないですか。ロールモデルとして親か学校の先生しかいないというのは、もったいないよねっていうことで始めたんです。だから別にただの社会貢献活動というつもりはなくて、たまたまNPO法人ですけど、子どもたちが自力で生きていくためのきっかけを提供して、その代わりに授業料をもらいますみたいな感じなんです。だからあまり学生の頃と本質は変わっていません。今でもお金は大事だよと思っています。

――自分がお金持ちになることだけでなく、失敗を通じてみんなにも稼いで欲しいと考えていらっしゃるところが利他的だと感じました。

小林 良い会社に入って給料たくさん欲しいとか目指す方向としてよくありますよね。そういうのってわかりやすいから願望として若い時はめちゃくちゃあって、バブルの時代背景もあったし、そういうのがもてはやされていた。僕はそんな成功したと思ってませんけど、自分の会社やって、従業員も増えて給料も増えて、家や外車も買ってとか……。そういうのを実際体験してみると、言うほどじゃないな、実はって。無い時は欲しかったけど、手に入れるとそうでもないな、それが目標じゃないなと今の会社を作った時ぐらいに思いました。だからもしかしたら僕も少しずつ変わってきたのかもしれないですね。

後編へ続く