今回は「ひまじん」の愛称で親しまれている相川知輝さんにインタビューさせていただきました!相川さんは複数のお仕事をされながら「老舗食堂」という大正時代以前から続くを老舗飲食店を紹介するブログを運営されています。
そんな相川さんは、ベイカンシーをなんと6年も利用してくださっています!
お仕事されているところを拝見して「ひまじん」だけどとても忙しそうで、それでいて楽しそうで、謎多き印象でした。

なぜひまじんと呼ばれているか?なぜ赤字を出してまで老舗を紹介するのか?など、根掘り葉掘りお伺いしたので、ぜひご覧ください!

▼プロフィール
相川知輝
老舗食堂管理人/株式会社ひまじん代表 / ポートフォリオワーカー / 100年以上運営している老舗訪問が趣味 / 老舗食堂オフィシャルは @shinisetv 

ーご経歴を教えてください。

相川 愛知県で生まれて三重県で育ちました。大学在学中に2年留学をしたりして、2002年に新卒でドコモに入社しました。その後は大手広告代理店系の仕事をして、2014年に株式会社ひまじんを立ち上げ、現在に至ります。

ー現在はどのようなお仕事をなさっていますか?

相川 仕事はざっくり分けると、ひまじん社としての仕事と、横浜にある印刷会社の役員の仕事2つあります。ひまじん社のほうでは、大手企業・スタートアップの新規事業開発や、マーケティングのサポート、そして自社メディア「老舗食堂」を運営しています。横浜の印刷会社のほうでは、外国人の採用支援やRFIDビジネス、GPS分析ツールの開発等、新規事業の開発を行っています。

ー皆さんから「ひまじん」と呼ばれていて、それは社名でもありますよね。由来は何ですか?

相川 少し大きな話をすると、将来的に多くの人がベーシックインカムの導入等によって仕事時間が減少し、それに合わせて暇な時間が伸びていくと考えているんですね。そういう世界がやってくると、我々みんな割と暇になる、と。で、暇になれば、好きなことにより多くの時間を使えるようになると思ってるんです。そんな時代に「こういうことも面白いんじゃないか」と提案できるものを作りたいと思っていて、それがひまじん社の名前の由来の一つです。自社メディア「老舗食堂」を運営しているのも、そこから来ていまして。まあこの話は後付けですが笑

ーなぜ老舗食堂を始めたのですか?

相川 もともと地方の食べ物が大好きなんです。例えば広島の場合、お好み焼きや牡蠣が有名ですよね。どれも美味しいのですが、他にもコウネやガンス等々、広島では普通だけど、東京にまで伝わってきていない美味しい食べ物って沢山あるんです。その中で衝撃を受けたのが、ホルモン天ぷらという食べ物で。文字通り「ホルモン」を「天ぷら」にした食べ物なんです。

15年程前にライターの仕事で、ホルモン天ぷらのお店に行きました。私は当時、「お店はメディアに取り上げられると喜ぶものだ」と思っていたのですが、掲載して良いか確認すると「取り上げなくていい」と言われてしまって。そこは歴史的には屠殺場があった場所で、屠殺場で出たホルモンを美味しく食べる方法として、ホルモン天ぷらや、ホルモンのスープである”でんがく”、豚の胃袋を揚げた”せんじがら”という食べ物が生まれた場所だったんです。つまりそれは、被差別階級の方が住まれていた場所であることを意味していて。ホルモン天ぷらを記事として取り上げるということは、「この場所の歴史を明かすこと」も意味するので、外に出してほしくないとのことでした(ここ数年では、その辺りもだいぶオープンになっています)。

ちょっと堅い話にもなりましたが、各地方にはその土地だから生まれた食べ物があると同時に、そこに留まらざるを得ない食べ物もあると知ったことは衝撃に近いものがありました。それはもしかしたら不幸な話であるケースもあるかもしれないけれど、だからといってその食べ物が無くなってしまうのは、その食べ物が無くなるという話以上の悲しいお話と感じてしまって。ちょっと遠回りの説明になっているんですけれど、その街の、その地域のユニークな食べ物が凝縮されている存在が老舗であると気が付いたタイミングがあり、だったらその老舗をアーカイブすることが、きっと誰かのためになるのではないか、と思ったんです。

ー食べ物からは様々なことが分かるのですね。

相川 老舗食堂を運営している理由はもう一つあって。老舗ってなかなかニュースにならないからなんです。話題になるときは大体閉店する時なんですよね。閉店のニュースが流れてTwitterでバズって「最後にもう一回行きたい」という投稿をよく目にするのですが、であれば日常的に行ってもらえる方法を作れないだろうかと。でも老舗を見つける方法って意外と少ないので、少しでも見つけやすくなるように老舗食堂を運営しています。

ーなぜ老舗閉店というニュースに心打たれたのでしょうか?

相川 歴史あるお店が閉店するのって、その食べ物がなくなるだけでなく、周りに付随する文化も消えてしまうと考えているので、老舗の閉店って凄く悲しいなと思います。その長い歴史の中で、何万人というお客さんがやってきたかもしれなくって、その人たちの思い出が消えてしまようで、何だか悲しいなぁって。

ーなぜ文化を残す必要があるとお考えですか?

相川 司馬遼太郎が文明と文化の違いについて「文明とは誰にでも通じる普遍的なもの」、「文化とは特異なもので、不合理なもの」と定義していたんです。その話だけを聞くと、誰にも通じる文明のほうが楽しいように感じるのだけれど、逆にその地域でしか通じない不合理なもののほうが、多くの人を幸せする要素があると僕は感じているんです。

多くの文化的なものが残れば、自分にとって好きなもの、自分にとって心地よい場所を見つけられる可能性が高くなると思うんですよね。漫画を例に挙げると、誰もが気に入る王道なもの=文明的存在のものがあればいい、という話ではなくって、恋愛もあればホラー、ギャグ漫画もあるという、読む人は選ぶけど選択肢が多い状態=多数の文化が残っている状態のほうが好きな漫画を見つけられる可能性が高まるじゃないですか。それと同じで、多くの文化が残れば自分に合う場所を探しやすくなりますし、選択肢の多い社会の方が豊かで楽しい社会だと思っているから、多くの文化が残るべきだと思っているのだと思います。

ーそのような考えに至った相川さんのルーツについてお伺いしたいです。外国語大学をご卒業ですが、なぜ外国語学科を選ばれたのですか?

相川 純粋に英語の文学や音楽が好きで入学しました。ビートルズやセックス・ピストルズ、ボブ・マーリーなど反社会的だったり、社会に対して強いメッセージを出す人たちの音楽が大好きで。で、どうせなら彼らが歌っていることを理解したいと思い、外国語学部で英語を学ぶことにしました。

ー反社会的な音楽が好きだったのですね。

相川 今も好きです。私自身、社会にあまりフィットしていないと感じるので、今も好きなのだと思います。

ー社会にフィットしていないとはどういうことですか?

相川 少しずつ価値観は変わってきていると思うのですが、一般的には良い学校・良い会社に入れば良い生活が送れるみたいなレールってあるはずで、私は子どもの頃ずっとそのレールに乗れていなかったんです。高校も大学もたいしたことないところに行って、就職で初めて「良い会社」という世間でいう良いレールに乗ることが出来て。僕が新卒で入社したドコモは、当時時価総額が世界一位で、就職人気ランキング1位だった、世間的にみて「良い会社の典型」みたいなところで。

でも、入社してみると「自分の居場所じゃない」と感じることが多くって。その後、大手広告代理店の仕事をした時も「なんだろう、この人たちと僕の違いは」と感じることが多くて、やっぱり皆んなの言う王道なところに私は行けないんだなと感じることが多かったんですよね。

ー自分の居場所ではないと、どういうところで感じましたか?

相川 「当たり前」が違うところですかね。私の親は中卒なのですが、当時ドコモの中ではそれが珍しくて「大学に行っていない親ってどういうこと?」って聞かれたり、私は同期の中で一番偏差値が低い大学だったので「へー、そんな大学あるんだ?」と言われたり。「家族で海外旅行」が当たり前の人たちと、国内ですら家族旅行にいったことがない相川家の状況とか、フレンチやイタリアンみたいな料理を僕だけ食べたことがなかったり、とかとか。
それにドコモにいた時に、同期達が「今日は社内で三田会でこんな話を聞いて(慶応卒の人たちが集まる会)」とか「赤門会(東大卒の会)で」、「ソフィア会(上智卒の会)で」みたいな話を聞くと、自分の大学からNTTグループ初の採用者だった僕には社内に先輩がいなくって、「出自が違うと社内で出会える人もかわるんだなぁ」と悲しくなった記憶はあります。

一緒に働いて来た人たちは、みんな良い人だし、私との違いを嫌味で言ってるわけではないんだけれど、産まれた環境で当たり前のベースが違うところは、当時若かったこともありますが、結構な疎外感はありました。

ー独立されたきっかけは何だったのですか?

相川 僕は割と組織と合わないし、人に好かれる・嫌われるに鈍感で、気が付くと組織の誰かから嫌われてるなぁ、と感じることがありまして。独立前の最後のほうもそんな感じで。
組織と自分が合わないと感じた時に取りうる方法は、「組織に自分を合わせる」、「自分に合った組織にかえる努力をする」、「組織を抜ける」ぐらいだと思うんですけど、前者2つの努力を無駄と感じるタイプなので、「だったら辞めるか」と前職を辞めました。辞めたものの、僕に紐づいている広告代理店の仕事があったので、その仕事を続けることになって、大手の仕事だったので法人格が必要で、結果的にひまじんつくって独立することになった、という感じです。

ー同調圧力が強い日本で、レールから外れて自分の好きな道を進むというのは少し難しいことにも思えます。

相川 レールから外れる問題は、レールを外れた時に生活し続けられる稼ぎをつくれるか、が、自分の好きな道を進むための難しさだと思っています。自分が食べていくお金が稼げるのであれば、レールから外れるのは割と簡単なことに思えて。とはいえ、レールにのってたほうがお金は稼ぎやすいので、簡単なことではないんですけれど。
同調圧力が強いからレールから外れられないについては、あんまりそれがどういうことかが理解できてないところがあって。僕にとってレールから外れて良いかどうかは、稼ぎが作れるかどうか、が論点であると思ってて、お金が稼げたり、稼がなくても生きていける状態であれば、「レール外れる」でも良いし「やりたいことをやる」でもよいし、あんまり人目を気にすることでない気がしてます。

ー周囲からどう見られているのか気になる人もいますよね。

相川 私は周りの目があんまり気にならなくて、そこが組織と合わない所なのかもしれないのですが、人がどう思っているかを気にしないし、気にできないんです。それで嫌われてしまうケースとかも結構あったりもするのですが、まあそういう人もいるよなぐらいで。人がどう感じているか、極めて鈍感ですね。知らぬ間に怒っている人をみると、申し訳ないことをしたなとは思う瞬間はあるのですが、それぐらいのほうが生きやすい気はしてます。

ー老舗食堂でものすごく利益が出るというわけではないんですよね?

相川 むしろ結構な赤字です笑。その赤字に相当な労力をかけています。しかし老舗への想いもありますし、楽しいし、最終的にはお金が稼げるようになると信じられているから続けています。日に日に老舗需要は上がっていて、例えば、テレビの旅番組があると必ずその地方の老舗が紹介されるんですよ。観光庁も老舗が一つの観光資源であると言っているので、老舗市場は必ず盛り上がると考えています。今はコロナ禍でインバウンドが落ち着いていますが、インバウンドでも、せっかく日本に来たなら、歴史やルーツのある食べ物を食べたいと思う人が多いと思うんですね。そのために英語版も作っていて。稼げる日がかなり遠くにあるだけで、必ず収益化できると信じているので赤字にも耐えられます。でも、たまに心が折れそうになりますけどね笑

ー心が折れそうな時はどうしていますか?

相川 美味しいものを食べると、だいたい気持ちも落ち着きます。老舗は美味しいところばかりなので、将来のことは考えず「今日は美味しいものを食べよう」と思っているだけですが。単純です笑

ー好きなことを仕事にする上で工夫されていることはありますか?

相川 稼げる仕組みをどう作るかを、考えるようにしています。例えば、老舗食堂は、現在1000件弱の記事を書いています。もしそれを全て食べログの中に書いていたら、食べログの中で相当良いレビューワーになれて、表彰されるかもしれません。でもそれは食べログのためにすることであって、自分の稼ぎに換えづらいと思うんですよね。自社にストックのなることに集中する、勝ち筋がどこか考えるは重要なポイントの一つな気がします。また反応が良いものにリソースを集中しています。例えばTwitter、instagram、Facebook等SNSでも老舗食堂は展開していますが、圧倒的に反応が良いTwitterに力を入れ、他はかなり省力運転して、勝てる場所で勝つようにしています。

ー今後は何をしていきたいと考えていますか?

相川 老舗食堂をどうマネタイズして、自分の時間の大半をどうしたら老舗業務にできるかというのが最大のチャレンジですね。老舗食堂は今は赤字なので、他の業務も必須ですが、老舗食堂が黒字化したら、仕事のバランスを少し変えたいなと思っています。今メインでやっている受託系の仕事は、本当に楽しいし勉強になるので止めるつもりはないのですけど、老舗食堂が利益を生むようになったら主従を逆転させたいなと思っています。

また、少しずつ増えてきている老舗食堂ファンと交流する機会をもっと持ちたいなと思っています。今度、老舗食堂から派生した「知らなくても困らないニッポン」というイベントを開催します。「知の冒険」という日本中の変わったスポットを訪れている方と、地方の食に詳しいFoodist Linkの高田タイガシェフと3人で、毎回対象となる都道府県を決めて、その都道府県のどうでもいいことを20分間プレゼンし合い、誰の話が面白かったか投票するようなイベントです。第0回としてテストで大分編をやったのですが、本当に知らなくても困らない情報が満載で超楽しかったです。老舗的には、臼杵がヤバイので調べてください笑

第0回イベントの老舗食堂 資料
https://www.slideshare.net/aikawatomoki/0-236740852

先ほどのホルモン天ぷらの話も、感動的に語ろうとすれば語れるのですが、その話だけでなくって、知らなくても困らないもっとどうでも良い情報も伝えたくって。ホルモン天ぷらって結構歯ごたえある食べ物なので、昔ながらの店舗だとホルモンを揚げたら、揚げたての天ぷらをテーブルに置いてあるまな板にポンって置かれて、自分で出刃包丁で切って食べるっていう食べ方なんですね。で、酢醤油に唐辛子をいっぱい入れて食べるんです。そういう「それ知ってても役に立たないな」って情報をいっぱい伝えていきたいです。

ーVACANCYを利用されたのはいつ頃でしょうか?

相川 約6年前からです。その頃週休5日制のリアルひまじんで、だからといって帰宅すると仕事をしなくなってしまうので、職場に行ったら帰りに仕事をする場所を作ろうと決めました。当時のクライアントから一番近かったのがベイカンシーだったので利用し始めました。その後も、引っ越したのがたまたま池上線沿いで、ベイカンシーに来るのが更に便利になったので、仕事場として使い続けています。

ー利用されてみていかがでしたか?

相川 オーナーである小山さんのキャラクターだと思うのですが、話しやすい雰囲気があるのは良いですね。正直、集中して仕事するだけならカフェでも良いかなと……。でも一人で仕事すると色々狭くなると思うので、多少は広がりが必要ですし、でも広がりだけを求めるならそれはまた別の場があると感じていて。交流もできて、集中もできるというバランスがとても良いと思います。

ー最後に読者のみなさんに向けて老舗食堂の楽しみ方を教えてください!

相川 好きな食べ物のルーツを探るのは結構おすすめです。ルーツのお店って実はまだいくつか残っていて。例えば親子丼やカッパ巻き、カレーパンやナポリタン、エビフライやハヤシライス等々、元祖を産んだ店ってまだ現役で頑張っているんです。元祖のお店って、元祖だからこそ少し今のものと形状が違ったりもするんですけど、その辺りも個人的には何だかんだ楽しめるポイントです。当たり前ですけど美味しいですしね。また食べ物きっかけで、歴史を掘り起こしていくのも楽しいです。ほほう、これが香川の三白か、とか、九州のシュガーロード沿いだからなのか、とかとか、全然何の話か分からないと思いますが、点と線が繋がる瞬間があって楽しいです。老舗に行って、食べて、調べて、なるほどなと思えるのが私の楽しみ方です。

相川さん、ありがとうございました。

自分の心に正直に従われていて「生きやすいですよ」という言葉にはハッとさせられました。好きなことをし続けるために努力を惜しまない方で、「暇な時代」をどう生きていくか考える上でとても学びになりました。

また、老舗を見かけても入りづらかったり敷居が高く感じていたのですが、お話を伺って行ってみたいなと思いました。老舗食堂のブログを読んで、まずは家の近くにあるお店に行ってみます!

p.s.

ベイカンシーの近くにも老舗があるようです。お煎餅やおかき、とっても美味しそうです。手土産やおやつにぜひお立ち寄りください!

五反田の江戸みやげ
進世堂の江戸みやげ / 東京 五反田 明治時代創業