ベイカンシー会員さんご紹介シリーズ、今回は深山泰志さんにインタビューをさせていただきました。

深山さんはCM制作会社や自動車メーカーの広告代理店、住宅会社のハウスエージェンシーを経て2017年に株式会社家撮り部を創業されました。家撮り部とは、写真やデザイン・建築を学ぶ学生やアマチュアカメラマンによる出張写真サービスのことで、撮影対象は新築住宅、リフォーム、店舗など様々です。

長年サラリーマンとして働かれていて当初、独立するつもりは全くなく、建築写真の知識もなかったという深山さん。なぜ株式会社家撮り部を創業するに至ったのか、そこにはたくさんの偶然がありました。

インタビューでは、独立のきっかけに加えて、深山さんのルーツとなる学生時代のお話や、大切にされている考え方、コロナ禍をどう生き抜いているのかなど多岐にわたってお伺いしました。
経営者の方はもちろん、そうでない方も深山さんのお話は日常をより豊かにするためのヒントになると思いますので、ぜひご一読いただければ幸いです!

▼プロフィール

深山泰志

広告制作会社を経て大手自動車メーカーの広告宣伝部門が独立した広告代理店に17年間勤務。その後移籍した総合広告代理店で工務店を対象とする施工写真撮影のマッチングサービスを開発。創業して中小工務店がコスト的に大きな負担となっていた 「施工写真」の撮影に革命を起こすサービスを展開。

CM制作会社、自動車メーカーの広告代理店を経て、住宅会社のハウスエージェンシーへ

ーー深山さんのご経歴を教えてください。

深山 大学を卒業してCMの制作会社に就職しました。本当は広告代理店に入りたかったんだけど、なかなか採用まで至らなくて。それで、映像とか映画が好きだし、CMもよく見てたから制作会社に入ったんですよね。でも制作会社に入ってCM作れると思ったら、いわゆる雑用係だったんです。映像作れると思ってたんだけど、自分の思っている世界と違うなと思い始めて……。その会社にはCM制作の他にイベント制作部があったので、そちらに移動しました。移動してからは、自分でプロデュースしたり演出できることが面白くなって、色々なイベントの仕切りみたいなことをやってはいたのですが、超ブラックだったんですよ。ほとんど3日間くらい徹夜とかで。給料も安かったので転職をしました。そこが自動車メーカーの広告を扱うインハウスの広告代理店(ハウスエージェンシー)で。そこに移って17年居たんですよ。そこで企画・営業の仕事をしてたんですけど、自動車メーカーって転勤が多くて。それで45歳くらいの時に「もう転勤疲れたな」と思って、また転職をしました。

次の会社は住宅系のハウスエージェンシーだったのですが、そこの子会社の一つが、住宅を持ちたいというユーザーとそれを提供する工務店や建築家をマッチングするサービスを運営している会社だったんです。そこで販促のお手伝いをしていました。そのサイトでは建築家や工務店さんに「こんな家を作れます」という家作りの実績をご登録いただいていました。建築家の方には芸術家肌の方が多く、良い写真をたくさん載せていたのですが、工務店さんは実績の写真が無かったり、あまり良い作例を載せていないことが多かったんです。でも、自分が工務店さんに仕事を依頼したいと思っても、実績の写真がなかったり、あまり良い写真じゃなかったら絶対頼まないじゃないですか。それで、掲載しない理由を工務店さんに聞いていくと「自分たちで撮った下手くそな写真載せてもお客さん来ないし、プロに頼むと高いから良い写真ないんだよね」とおっしゃっていて、それがネックだっていうのが分かってきたんです。じゃあ、良い写真を掲載できるようなスキームを作ろうという話になったのですが「建築写真撮れます」ってだけじゃ面白くないから、ちょっと安めのサービスにして、ちょっと尖ったサービスにしようっていうことになって。それで、建築や写真を勉強している学生をカメラマンとして派遣して、学生さんは建築写真を勉強できて、工務店さんは良い写真を撮ってもらえるというWin-Winの関係ができるようなサービスを作ったら面白いねという話になりました。

偶然の出会いが生んだ、株式会社家撮り部

でも建築学生との繋がりは全くなかったですし写真についても詳しくないので、どうしようかと考えていて、それで恵比寿のバンタンデザイン研究所のフォトグラファーコースとか、フォトグラファーを集める専門学校が色々あるから、専門学校で写真を勉強している学生の中から家撮り部でやりたいって言ってくださる人をアサインするのはどうかという話になりました。それでバンタンに「こういう企画をやろうと思ってるんですけど、一緒にコラボできませんか?」って、アポも取らずに行くしかないと思ったんですけど、流石に40過ぎのおじさんがあの辺でウロウロしてたら絶対に変な人じゃないですか。だから中に入れなくて……。もう夕方だったので「いいや、飲んじゃえ」と思ってバンタンのすぐ横にある僕がいつも行ってるカフェレストランに行ったんですよ。それで、そこのキッチンで働いているシェフの子に「深山さんどうしたんですか?なんか浮かない顔してますよ」って言われて。「いや実はこういうことを考えてて、バンタンに提案しようと思ったんだけど、やっぱりその勇気ないわ」という話をして。そしたら、そのシェフの子がバンタン出身だったんですよ。それで「誰かバンタンで知ってる人いない?」って聞いたら「知り合いでバンタンで話聞いてくれそうな人とすごく仲良い人がいるから、その人を経由してちょっと聞いてみますよ」って言ってくれて。その場でその知り合いの方に電話してくれたんですよ。それでその知り合いの方がバンタンの担当者の電話番号を教えてくださって、僕がその人に電話したんです。それで僕のやりたいことを伝えたら「めちゃくちゃ面白いから是非やりましょう」って言ってくださって、コラボさせていただけることになりました。それで今に至るのですが、あの時、バンタンの前で誰かに「誰か紹介してください」って声かけてたら多分それで終わってて……。僕があのレストランに飲みに行って、シェフがその知り合いの方を知らなかったら繋がってないんですよ。それがもしなかったらこの世の中に家撮り部って生まれてない。すごい偶然ですよね。だからそこは多分、流れがそういう風になってたんだろうな、と思いますよ。

経営不振。男気で企業買収へ

それでサービスを世に広めるために頑張っていたのですが、会社が経営的に良くなくて。家撮り部自体はすごく好調だったのですが、別の会社に譲渡するという話になってしまいました。サービスを考えたのは僕だったし、ほとんど僕しか運用に関わっていなかったので、譲渡の際に会社の社長と「深山さんどうする?」という話になって「じゃあ僕買いますよ、この会社」って。サービスを男気でMBO(マネージメントバイアウト)で買って、それで始めたのが今の株式会社家撮り部なんです。

ーー元々起業を考えていらっしゃったわけではなかったのですね。

深山 はい、男気ですね。絶対このサービスを無くしちゃいけないって。このサービスを望んで下さっている方々がいるので、その人たちにもっと広げたいって思って、だからもうやるしかないなっていう感じですかね。なので、会社大きくして儲けてっていうのはないんですよね。まぁでも最初は社員雇うわけにもいかないし、サラリーマンやってると自分はその仕事だけやれば良いけど、いわゆる総務や経理的なことを全部自分でやらなきゃいけなくなって、それはしんどかったですね。株式会社家撮り部は4年前の6月1日に創業したのですが、前の会社のサービスとしてやってた仕事も全部そのまま流れているんです。社名だけが変わって、その前から引き継いでることをやって、今まで僕じゃない人がやっていたことを全部自分でやらなきゃいけなくなったから、6月はほとんど寝てないと思います。どんどん精神的に参って1ヶ月で体重10キロも減ったんですよ。それは結構なプレッシャーでしたね。でも応援してくださる方が多かったので、その人たちのために報いたいっていうことと、前の会社にいた時は色々な案件があって家撮り部の仕事はその一部だったのですが、起業すると自分の仕事ってそれしかなくなるからすごく集中できて、お客さんも広がって、売り上げも上がったという点では良かったなっていうのはありますけどね。

ーー起業の際にどのような方が応援してくださっていたのですか?

深山 昔から馴染みの工務店さんと、今でも継続的にお仕事をさせていただいているLIXILさんとPanasonicさんがすごく後押しをしてくださいました。それがなければ多分、起業していなかったかもしれません。LIXILさんとPanasonicさんと仕事をさせていただいていることが、例えば融資を受ける際にも助けになっていて。スタートアップの会社っていきなり大きいところと仕事できないだろうし、これだけ見込んでますっていう事業計画を持って行っても、絵に描いた餅じゃないですか。でもお金を借りる時に入金の通帳見せてくださいって言われて、その時に大きな会社が載っていると「こういうところと継続的に仕事してるんだったらすぐに潰れないなこの会社」って思ってもらえるので、そこは恵まれていましたね。でも最終的には、嫁がオッケーしたからやっている感じはあります。嫁は安定してるサラリーマンが一番良いと思ってる人間だから、起業に対して反対すると思っていました。でも「会社を辞めて、家撮り部の会社を自分で立ち上げようと思ってるんだよね」って話をしたら「やれば?自分がやれるんだったら」って。そうやって応援してくれているので、応えてあげないとって思います。

一人で頑張ることの限界と、他人を頼るということ

ーー起業されて苦しかった時期はありましたか?

深山 ある程度周りが見えるようになってから、プラスの売り上げを上げるためにどうしようかなっていうのを思ってた頃ですね。毎月の売り上げがこのまま推移していたらちょっとやばいっていう。手持ち資金もなくて、色々調べていたら、東京都がやっているスタートアップ向けのインキュベーションオフィスだったり、Startup Hub Tokyoとか創業支援とかそういうのが色々あるということが分かって「自分一人で頑張ってても限界あるから他人の力借りるしかないな」って。他人の力借りるにも金かけられないから、東京都や行政にお願いしてサポートを受けながらやった方が良いと思って、東京都の中小企業公社は結構通ってたんです。そしたら家撮り部を面白がってくれて、取材などで声をかけてくださるようになりました。

ーー東京都の新聞や記事、動画などで家撮り部がご紹介されていましたよね?

深山 はい、なのですごく助かっています。僕は今、東京都が運営しているデータ活用プログラムに参加していて。元々はそのプログラムを知らなかったんですけど、東京都からお声かけいただいてエントリーしたんですよ。結構そういうような感じで連携も取れていて、中小企業公社さんと上手く色々やらせていただいているなって。去年イベントに出たんですけど、それも中小企業公社の助成でやっていて。だからすごくね、困ったら自分で答えを出さないで、お金のかからない行政を頼るのが鉄則かなって。そこの出会いがなかったら、ここまで心に余裕がなかったかもしれないですよね。一人で悩んじゃうから。

それで僕は最初に家の近くのシェアオフィスにいたんです。そこにはデザイン会社とか設計事務所とかが入っていて親和性があるとは思っていたんですけど、スタートアップの会社とかWebサービスをやってる人が誰もいなくて……。
東京都が賃料を助成してくれるからとりあえずそこにいたんだけど、なんか違うなっていうのをずっと思っていて。それで去年コロナ禍になって、売り上げが大分落ちそうだっていうのが分かって、助成金も2年間という期限付きだったので、どうしようかなって。そんな時に嫁とたまたまテレビ東京の『出没!アド街ック天国』の五反田特集を見ていて、ベイカンシーの存在を知りました。オーナーの小山さんが無粋な感じでインタビューに答えていて。それがきっかけで来たけど、自分と同じ境遇の人たちがたくさんいるし、情報をリアルにシェアできるから、ここにきてすごい良かったなっていうのはありますよね。

ただでは転ばない。コロナ禍で生まれた新たな形

ーー売り上げが落ちたとのことでしたが、やはりコロナ禍の影響は大きかったですか?

深山 影響受けましたね。緊急事態宣言が出たので、お客様のところに行って撮影するのは一旦キャンセルになって。それと、中国から部材が入ってこないから施工事例が撮れなくて。一番大きかったのは、建築写真の撮り方のセミナーを全国で年間20〜30件やってたんですよ。それが全部飛びました。なので去年の始めのタイミングは結構辛かったですね。でも建築写真は粛々と一人で撮るようなものだから、ある程度緊急事態宣言が解除されてからは撮影案件は増えているんですよ。去年、東京ビッグサイトのイベントに2回くらい出て、そこで名刺交換したお客さんが頼んでくださったり、話が広がってきているところはあるので、そこでちょっとリカバリーするかなという感じですね。

ーーコロナ禍で影響を受けて精神的に落ち込んだりはしなかったですか?

深山 ダウナーみたいな感じにはならなかったです。いつか終わるだろうし、セミナーを発注してくださるのはLIXILさんが多いのですが、LIXILさんと「対面のセミナーはもうやれない。オンラインの時代だからオンラインの形を一緒に作りましょう」って言われて。だからそういう状況になったらなったでまた次のことを考えなきゃいけないし、ただでは転べないので、そういうところはすごく考えました。それに対してお客さんがこういうことやりたいとか、こういうことして欲しいんだけどっていうのを直接言ってくれるんですよね。「こういうこと深山さんのとこでできない?」って相談してくれる。僕は良い企画考えたり頭良くないからできないんですよね。でも企画はお客さんから挙がってくるんですよ。うちのサービスは最初はただ撮影するだけだったんですけど、段々フォトブックを作ったり、家具をレンタルして一緒に撮ったり、動画を撮ったり、アマチュアじゃなくてプロのカメラマンで撮ったりとか全部それは僕が考えたんじゃなくて、お客さんが提案してくださったことを具体的にしただけなので、僕はただまとめているだけです。

ーーお客様からたくさんの提案をいただけるのは、信頼関係があるからですよね。

深山 どうなんですかね。必ず昔からのお客さんは「おうおう」みたいな感じで声かけてくれますね。あまり肩肘張ってゴリゴリに来る感じじゃなくて、柔らかく人と接する感じなので、それくらいの距離感がもしかしたら良いのかもしれない。一応、僕の仕事は企画・営業なんだけど、営業職が強いんでしょうね。「営業嫌いじゃないし」というところが多分あるんだと思うんです。あと、100%仕事こなせはできないんですけど、ある程度のクオリティーで向こうが期待していることのちょっとプラスくらいはアウトプットとして出せるっていうのは「あぁ良いな」って思う人は多いんじゃないですかね。

ーー起業されて良かったことはありますか?

深山 人に感謝されることくらいしかないと思いますけどね。「ありがとう」とか「助かった」とか「こういうことしてもらえて良かった」とか。仕事は値段じゃなくて。家撮り部のサービスは一件撮影するのに2万円くらいのサービスだし1件1件真摯に対応していたら、そのうち広がるだろうって。安い仕事でも、ちゃんと自分の気持ちを100%ぶつけていって、それで「ありがとう」って言ってくれたら、もうそれで良いんじゃないですかね。大きい仕事は欲しいは欲しいですけど、今のこの状況だとやっぱりね。どの企業も結構大変だし、いただけるだけでありがたい。

ーー昔から人思いだったんですか?

深山 昔からそうですよ。自動車メーカーのハウスエージェンシーにいた時なんですけど、やっぱりすごい癖のあるクライアントさんっているじゃないですか。そういう癖のある人にめちゃくちゃ好かれるんですよ。だから何かあると、あそこの社長が今回やろうとしてる施策に文句言ってて、なんとか説得しなきゃいけないんだけどっていうのをメーカーの人に言われるわけですよ。それで「深山くん申し訳ないんだけどあの人説得してきてくれない?」って言われて「良いですよ。あの人と仲良いから」みたいな感じで話しに行って。「社長ぐだぐだ言ってないでやりましょうよ」って言って「そうだな」みたいな。僕は癖のある社長とかの方が面白い、ちょっとエッジがたってるくらいじゃないとつまんないって思っちゃうんですよね。もちろん、いくら癖があっても単なる意地悪はダメですけど、癖はあるんだけどもこの人のこういうところ好きだなっていう風に思える人だったら一緒に仕事したいなってすごく思う。

バイトに明け暮れた学生時代と、はじめての海外生活

ーー学生時代から人に好かれる性格だったのですか?

深山 いや、学生の時はもっと尖ってましたね。北海道から東京に出てきて、一人暮らしを始めて。飲食店で接客のバイトしてたんですけど、バイト先の仲間とよく連んでました。大学はほとんど行ってなくて……。バイト仲間といろんな話をしたり、いろんなお客さんと接していって、そこから多分人とどうやって渡り合えば良いのかとかそういう生きる術じゃないですけど、そういうのを自ずと身に付けたんじゃないかなという感じはしますけどね。僕本当は人見知りなんですけど、誰とでも話はするんですよ。そんな感じで人と接することがすごく好きだから、そういう風になったような感じはします。

ーー大学在学中にアメリカに留学されたんですよね。

深山 大学3年の時に、交換留学でアメリカに行って、それが自分が生きている中で一番勉強した時じゃないですかね。授業が9時から15時くらいまであって、それ終わってから「明日はここからやるから」って言われるんですけど、それが30ページ先くらいで、いやどうしたら良いんだって。まず復習をして、それから予習するじゃないですか。だから夜中までずっと勉強してましたね。ひたすら勉強して、やっぱり結果が出てくると面白いじゃないですか。それで、帰国後は英語を使えるような仕事につきたいと思っていたところはあるんですけど、残念ながら英語を使う仕事はあまりできなかったですね。でもアメリカの環境に合わせて生活して、自分で努力すればこういうところまでできるんだっていうのを確認できたのは良かったです。親にはいろいろ迷惑かけちゃったんですけど、それでもよくあるじゃないですか、遊学みたいな。海外に旅行気分で遊びに行って英語全然覚えないみたいな。ああいう感覚ではなかったので、だからこそ、その時の経験はすごく良かったなって今でも思いますよね。金なかったですからね。でも金なくても楽しめるっていうことも良かったし、面白かったなぁ。

ーーアメリカに留学されたきっかけは何だったのですか?

深山 たまたまです。同じバイト先だった同級生に「一緒に留学しない?すごく倍率低くて、エントリーしたらほぼ行けるみたいだから」って誘われて。それまで海外旅行も行ったことなくて、はじめての海外旅行がアメリカだったんです。うちの親も学生の時に経験できることはなんでもした方が良いって言ってて。それで仲の良い友達も「このタイミングで行かなかったら一生後悔するかもしれないから絶対行った方が良いぜ」って言って。「いや、英語とか喋れなくて良いし」みたいな感じだったんだけど、絶対落ちると思ってエントリーしたんですよ。でも受かって「嘘、行くの俺?」って。

ーー起業もアメリカ留学もある意味、偶然で突然だった訳ですが、気持ちを切り替えて全力になれるところがすごいですよね。

深山 やらないといけないからね。最初は辛かったですけどね。普通日本の大学ってゲートがあるじゃないですか、でもアメリカの大学って完全に街と同化しているんですよ。だから、車でガーっと行って気がついたらキャンパスにいるっていう。そこに英語を勉強する校舎があって、張り紙が貼ってあるんだけど名前とどこの部屋に行けっていうのしか書いてないの。それでここだと思って行って、初めてルームメイトに会うっていう。めちゃくちゃでしょ?引率もついてないから自分たちで全部やらなきゃいけなくて。

でも行って良かったと思いますよ。初めての海外だったし、誘ってくれた友達に「やっぱ行かなきゃダメ?辞退しようかな」ってずっと話してて「お前今更何言ってんだよ」って言われたんですけど、そいつは今サンフランシスコで不動会社で経営してて、留学の時に知り合った人と結婚したんです。

ーーすごい!深山さんにとってもご友人にとっても、人生を変える経験だったんですね。

昔から変わらない、大切にしていることと、これからのこと

ーー大切にされている言葉や考え方はありますか?

深山 留学の話もそうなんですけど昔から「やらないで後悔はするな」っていうのは自分の中でずっとありますね。後悔するんだったらやって後悔しろっていう。自分でやってみないと分からないし、そこは昔から変わらないんじゃないですかね。だから行動力的なことでいうと自分で会社立ち上げるっていうのもそうだし、可能性がゼロじゃないんだったら一回やってみて、それでダメなら辞めちゃえば良いじゃんみたいなことはずっとあると思いますね。失敗はするけど、失敗ってやったから失敗するのであってやらなければ失敗ってないから。あとは、やっぱり人を喜ばせたいみたいなところは元々ある人なので、これやったらこの人喜ぶだろうなとかっていう風にすごいシンプルに考えてて。僕すごいシンプルなんでその2つくらいしかないですね。あとはもう、なるようになるみたいな。

ーー最後に今後の目標はありますか?

深山 やっぱり、今やってる仕事をもっと広めたいっていうところかな。別にラウンドで金を集めたりシードのタイミングでどうのっていうのは全く思ってなくて。まだまだ家撮り部でできることはたくさんあると思っているから、家撮り部と一緒に仕事をしてすごくハッピーになる人たちをどんどん作っていきたいっていうぐらいしかないもんな。

ーーありがとうございました。深山さんは飾らない自然体な方で、お言葉ひとつひとつに嘘がなく、だからこそ相手の心に違和感なく真っ直ぐに届く、そんな印象を受けました。経営者というとどこか遠い存在で、あまり自分ごとには捉えられないのですが、深山さんのお話は、とてもシンプルで身近に寄り添うものでした。そんなシンプルで分かりやすいことを実直に続けられてきたからこそ、お客様をはじめ皆様に信頼され愛されるのだなと、とても学びになりました。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

ベイカンシーブログでは利用者の皆様の人生について、根掘り葉掘りインタビューさせていただいておりますので、そちらもぜひご一読ください。

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